かりんとうの歴史
- 2014年09月12日
- かりん糖辞典
かりんとうの歴史
日本のお菓子の中ではもっとも古いお菓子の1つとされているかりんとう。 その知られざる歴史を紹介していきます。
【かりんとう誕生秘話】
徳川3代将軍家光から5代将軍綱吉の頃(1623年~1709年)までに、京都の高級菓子が江戸に伝わってきました。一時は江戸も京菓子ブームがあったようですが、一般庶民でも高級菓子が食べられる様にと、当時高級菓子(京菓子)にしか使用を認められていなかった白砂糖の代わりに捏ねた小麦粉を棒状にして黒砂糖をかけたのがかりんとうの始まりだと言われています。
【かりんとう生誕の地】
当時、庶民の味で親しまれていた江戸雑菓子の中から生まれる。遣唐使によって京都から江戸に広まっていったとされています。あの織田信長や豊臣秀吉も食べたようです。 享保2年頃から江戸の人々の口に合う雑菓子が創作され、その中には現在のかりんとう と同じものがあり、享保年間には江戸市中にかりんとうブームが起きたと云われています。
【かりんとうが日本に伝わるまで】
奈良時代(710年~784年)に唐(中国)から遣唐使により伝えられた唐菓子(8種)のひとつで、その後京都を中心に高級菓子として発達、奈良・平安時代(710年~1200年)になると、特殊な上流階級が上菓子として独占する事となった。 他には、「むかしむかし、中国人が日本に持ち込んだマーハールというかりんとうによく似たお菓子」と言う人と「オランダ人が長崎に持ち込んだ小麦粉を練って食油で揚げたお菓子に黒砂糖をまぶして食べてみたら美味しく。そこから変形したものである」という説があります。
【昔から現代の作り方の違い】
当時は、もち米、うるち米、麦、大豆などの粉をこね、油で揚げたもので、甘味には甘葛(あまづら)と呼ばれる『つる草』の液汁を使用していたそうです。その後、小麦粉をこね、板状にして油で揚げており、まさにいまのかりんとうそのものだったらしいです。現在では、小麦粉を主原料とし練りあげたものを形成し、油で揚げてその周りに蜜を施し出来上がったものが今のかりんとうです。
【かりんとうの呼び方(名前の由来)】
2つの説があると言われています。
①「花林の木の色に似ているから。花林糖と名付けられた」
②「食べた時にでる”かりかり”と言う音から、かりんとうと名付けられた」
【なぜ黒糖味だったのか?】
当時、白砂糖は高価であった為、京菓子に負けじと江戸っ子が作り上げた庶民的なお菓子が、黒糖を使用したかりんとうだった為。また、昔、甘いものが少なかった頃 上白糖は高価なものだったが、黒砂糖は安く手に入ったということも考えられます。 何より黒糖はミネラルが沢山含まれていて体に良いと知っていたからかもしれませんね。